The fool on the hill

南イギリスでの日常生活・子育てのお話

昔話・アトリエで油絵をしていた子供時代

渡邉眞利の絵 私がとても好きな挿絵


最近日本語を教える事が楽しく、英語も教える事ができないかと考え始めたところです。

今イギリスで仕事探しをしている(た)ので就活についてはまた違う記事にまとめたいです。

 

私の母は子供に自宅でピアノを教える先生、おじいちゃん(母方の祖父)は高校の美術の先生&自宅のアトリエの先生、おばあちゃん(母方の祖母)は高校の体育の先生でした。1990年代当時、おじいちゃんのアトリエで私は育ったのですが近所の子供から、社会人のおじさんまでいろんな人が油絵を描いたりまた粘土のようのなもので工作したりしていました。おじいちゃんは古いコーデュロイのパンツにはいつも色んな色の絵の具がついてましたが気にする事なくそのまま出かけてました。家の中では帽子被ったまま。そんなおじいちゃんが大好きでした。

 

私の地元はNTT社宅のたくさんあり子供がいる家族がたくさん住む地域だったので、自宅で書道を教えている先生のところに習いに行ったり、そういう普通の昭和っぽい感じの地域で育ちました。今社宅は全滅してます。

私も油絵をやっていましたが自分は絵が上手くないとずっと思っていました、特に人物の絵は描けない。当時、少し年上のイギリスと日本のハーフの女の子もアトリエに来ていたのですが、とっても上手に人物の絵を描いていました。ハワイアンダンスをする女の人たちの絵はいまでも覚えています。まだ10歳ちょっとの女の子がどうしてそんな絵を描けるのか、しかもエキゾチックなハワイアンの絵。その子の名前をまだ覚えているのですがネットで検索しても出てこないです。いつか会ってみたいですが多分もう会えないでしょう。

その子は絵の専門学校に行くと行っていました。その当時の自分は美術が好きだったけど上手くできない、しかも画家としてどうやったらお金を稼ぐのかわかりませんでした。おじいちゃんには「絵に上手い下手はない」「絵を描くときに定規は使わない」と言われていましたが、いまもそれは正しいと思います。まっすぐした線が嫌いです。

世界の画家の本や、フランスのルーブルとかイタリアの美術館の本ならいくらでもありましたが、私は子供ながらにやっぱり自分は美術の人じゃないと思ったのでしょうか。おじいちゃんは自分の個展を銀座や地元の北海道で開催し絵を売る。絵の題材はシルクロードを行くラクダやロバ、人人の絵、中東、シリアの市場や風景画などが多かったです。

生きていたら90歳ですが、随分と中東やヨーロッパ、中国に行っては色んなその土地の民芸品や音楽を持ち帰って来てましたので、お土産でいつももらっていました。私は子供の頃、そのお土産と写真に強く影響されて育ったことは間違いありません。

 

前ブログに書きましたが、イタリアやフランスの建築や街の写真を見て「なんで日本の景色ってこんなに汚いんだろう」と思いました。建築もバラバラ、電線は絡まってる。(まあそんな景色もいまは悪くないと思いますが)当時は嫌いでした。

 

その後中学生になり私はスポーツが苦手だったのにも関わらず、普通の学生は運動をするものだろうと思って部活を始めました。ぼちぼちできてました。中学になってからは吹奏楽部に入ろうか悩んでいたんですがそっちの道にも進みませんでした。

普通の学生だったのに、普通でいる事がやで人と違う事がしたかった子供の頃。でも何をどうしたらいいのかわかりませんでした。

 

大人になってから、その2つをとっても後悔したのです。

アートと音楽が自分の道のように思えてならなかったからです・・・。

 

自分の性格上、会社員の一員になる事がとても苦手です。でも都内でやっていました。

 

私はおじいちゃんとおばあちゃんの性格をたして二で割ったようだなとよく思います。

おじいちゃんはいつも楽しくて独創的で自由でとてもとてもいい加減(笑)昭和の頃は銀座で焼酎とそばを屋台で飲み食いしてへべれけになってたそうです。

おばあちゃんはとっても強い人で地域を仕切ったり学校の会長をやったり街の勉強会を作ってみんなで歴史の勉強をしたり。

とにかく二人ともそういう意味で社交的だったので家にはお客さんはしょっちゅういました。

 

私はある程度いい加減な性格なので、社会にとらわれず自由に生きる道を子供のころに開いていたら、と時々思います。

 

やっぱり人はいつになっても変わらないんだなと思います。中学生で好きなバンドの英語の歌詞に目覚め、そこからライブに通う日々。英語も続けてました。自分はいつも音楽がやりたかったのに向いていないとか、お金が稼げないと思っていました。

 

他にも社会人になって例えば27歳のことやりたいことを見つけましたが、もう今から始めてもなあと思ったりして始めなかったこともあります。でも今30代後半になりましたが、これからも人生は長く続いて行くから27の時に仮に始めてても全く遅くなかったなあと、よく思います。

 

なんだか後悔ばかりのブログになってしまいましたが、そんなこともないです。

今自分が何ができるかを考え生きていきたいと考えています。